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朝鮮王朝時代の3大悪女の締めは張禧嬪(チャン・ヒビン)になります。

張禧嬪(チャン・ヒビン)については数多くドラマ化されていますので改めて紹介するまでもないかもしれませんが、早速、張禧嬪(チャン・ヒビン)の悪女伝説を紹介しましょう。

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張禧嬪(チャン・ヒビン)とは?

張禧嬪(チャン・ヒビン:1659年11月3日生まれ-1701年11月9日没)とは側室になってからの呼び名で、本名は張玉貞(チャン・オクチョン)と言います。

李氏朝鮮時代の第19代国王・粛宗(スクチョン)の側室で第20代国王・景宗(キョンジョン)の生母、更に朝鮮史上唯一の賎民出身の王妃(後に嬪に降格)です。

チャン・オクチョンの父親は李氏朝鮮時代の官僚機構を担った階級(身分)で、郡県の行政の実務を担当した中人(チユンイン)という身分でしたが、母親が賎民だったのでチャン・オクチョンの身分は賎民でした。

チャン・オクチョンは父親を早くに亡くしたため、家計が苦しくて宮廷に女官として入り第16代国王・仁祖の継妃でスクチョンの義理の曾祖母に当たる荘烈大王大妃の針番(チムバン)女官になります。

そして宮中の女官の中でも群を抜いた美貌が王・スクチョンの目に止まり側室になります。

当時、スクチョンには王妃(正妻)の他に側室も多くいましたが、スクチョンはチャン・オクチョンに夢中になります。

側室になったばかりのチャン・オクチョンに寵愛を注ぐスクチョンですが、そこに目をつけたのが当時の宮廷内での派閥争いを行っていた荘烈大王大妃を筆頭とする南人派の人たちです。

この第19代国王・スクチョンの時代は朝鮮が建国以来、最も派閥争いが激しかった時代で、特に西人派と南人派の派閥対立が大変激しかったようです。

当時権力を握っていたのは西人派で国王・スクチョンの王妃である仁顕王后を後ろ盾にしていましたし、スクチョンの母である明聖王后は仁顕王后の味方でした。

チャン・オクチョンは女官時代に仕えていた荘烈大王大妃の南人派の言うとおりにスクチョンに囁きますが、反対に西人派の陰謀と明聖王后の権力により1680年10月から1681年3月の間は宮廷から追い出されることになります。

しかし、スクチョンの王妃・仁顕王后は6年間もの間、懐妊しないことを理由に荘烈大王大妃や南人派がチャン・オクチョンを再び宮廷に戻します。

1686年に宮廷に戻ってきたチャン・オクチョンは側室として”承恩尚宮”(スンウンサングン、正五品相当)に昇格し、1686年12月10日に”淑媛”(スグォン、従四品相当)に、更に1688年には”昭儀”(ソイ、正二品相当)へと側室としての地位を上げていきます。

再びスクチョンの寵愛を受け1688年10月27日には王子・李昀(後の第20代王・景宗:キョンジョン)を出産し、この功績により1689年1月15日に”嬪”(ピン、正一品相当、側室の最上位)に昇格し、この時から”張禧嬪(チャン・ヒビン)”と呼ばれるようになり、息子・李昀は次期王・世子に指名されました。

その後もスクチョンはチャン・オクチョンを寵愛して、チャン・オクチョンは第二子も男の子を出産(後の李盛壽)します。

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王妃(正妻)を追い出して王妃になった張禧嬪(チャン・ヒビン)

国王・スクチョンの息子を2人産んだチャン・ヒビンは、相変わらずスクチョンの寵愛を受け続けた事で”側室という地位”では物足りなくなり”王妃になりたい!”という欲望が日増しに強くなってきます。

そして次期王に指名された息子の母親として、上手くスクチョンに甘えて1689年5月2日に王妃・仁顕王后を庶民に格下げすることに成功するのです。

1690年10月22日にチャン・ヒビンはついに”朝鮮史上唯一の賎民出身の王妃”にまで成り上がります。

チャン・ヒビンの話で一番の見所は、この”朝鮮史上唯一の賎民出身の王妃”になったことではないでしょうか?

身分制度の厳しかった時代背景の中ここまで成り上がってのは、チャン・ヒビンの類まれなる美貌だけではなかったはずです。

国王・スクチョンを骨抜きにして我が物にしたからできたことですよね、チャン・ヒビンは恐らく持って生まれた魔性の女だったんじゃないでしょうか?

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王妃から再び側室に格下げされた張禧嬪(チャン・ヒビン)

王妃が変わったことにより政治の権力は、西人派から南人派が実権を握ることになりますが、西人派も指を加えて黙って見るわけがありません!

西人派は仁顕王后の復位運動を実行しますし、南人派もこれに反発し政局は揺らぎます。

国王であるスクチョンは、どんどんと増長してくる南人派も結局以前の西人派と同じだったと気づき「これではダメだ」と判断し仁顕王后を妃に復位することで南人派を牽制します。

1694年4月12日チャン・ヒビンは”王妃”から”嬪”に格下げされ、仁顕王后が復位しました。

この時のチャン・ヒビンはどれだけ悔しかったでしょうね? 私なら部屋中のものを投げ散らかして、ふすまを小机などで破りまくるなど大暴れをしたいくらいですがチャン・ヒビンはどうだったのでしょうね。

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追い込まれる張禧嬪(チャン・ヒビン)

側室に格下げされたチャン・ヒビンですが、態度は王妃並みのままで意のままに振る舞うようになり宮中では好き勝手な行動、言動を取るようになります。

丁度、その頃スクチョンは新しく迎えた側室”淑嬪”(スクピン)の崔氏(チェシ)に夢中になり、勝手し放題のチャン・ヒビンを疎ましく避けるようになります。

スクチョンの寵愛が崔氏(チェシ)に注がれると焦ったチャン・ヒビンは崔氏(チェシ)に陰湿な嫌がらせを何回も行いますが、再び”王妃の座につきたい!”という欲望が膨れ上がります。

そして、侍女たちに仁顕王后の寝室を見張らせたり、チャン・ヒビン自身も仁顕王后を呪う儀式を行うなどして何とか仁顕王后の死を願い、その後”王妃の座”につくことを目論みます。

1701年に仁顕王后は病気によって亡くなります。

この時のチャン・ヒビンは狂喜乱舞だったでしょうね、ところが人を陥れるための呪いの儀式までしていた人間が平和に過ごせるわけがありません。

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張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期

チャン・ヒビンが仁顕王后を呪う儀式を行っていた事は西人派と崔氏(チェシ)も密かに知っていたのです。

そして仁顕王后が亡くなった後にこの事を国王・スクチョンに密告します。

傲慢な態度と続けるチャン・ヒビンへの不信感を持っていた国王・スクチョンは、大変な怒りようで即座に死罪を申し渡します。

そして1701年10月10日チャン・ヒビンは42歳で賜薬(毒薬を飲んでの死刑)により処刑を実行されました。

同時に宮廷内で権力を振りかざしていたチャン・ヒビンの実兄も斬首刑を受けています。

この時のチャン・ヒビンの様子が史実として残っています。

チャン・ヒビンは死の直前に「最期に息子に会わせて下さい」とスクチョンの懇願しました、スクチョンはすぐには承諾しませんでしたがチャン・ヒビンのあまりにも哀れな姿に結局は承諾します。

スクチョンは13歳になった息子(後の20代王・景宗:キョンジョン)をチャン・ヒビンの目の前に連れてこさせます。

ここでチャン・ヒビンは誰も予想のしていなかった行動を取るのです。

なんとチャン・ヒビンは息子の下焦(ハチョ:膀胱の上のあたり)を強く握りしめて息子が気を失うまで離さなかったのです。

その後、賜薬での死刑は実行されました。

この時のチャン・ヒビンの行動は謎な奇っ怪な行動だと史実に残されているそうですが、子供を持つ身の私は、なんとなく分かります。

斬首刑ならば一瞬にして亡くなりますが、賜薬だと即死では無く、苦しみもがいて断末魔の叫び声を上げるかもしれない、13歳になった息子に自分の断末魔の叫び声を聞かせたくなかったんじゃないでしょうか?

私が同じ立場でも、息子に母親の最期の声として一番聞かせたくない声ですから、同じ行動を取ったと思いますが、皆さんはどう思われますか?

このチャン・ヒビンに関する記録は、スクチョンの寵愛がチャン・ヒビンから淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)に変わり、その崔氏(チェシ)が産んだ子供が王・英祖となった時代に「粛宗時代のことを記録した朝鮮実録」に残された史実が元になっています。

ですから、チャン・ヒビンという女性は、ここに書かれた史実には脚色を加えて書かれた可能性もあると言われています。

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映像化された張禧嬪(チャン・ヒビン)

何度も書きますがチャン・ヒビンは”朝鮮史上唯一の賎民出身の王妃”ということや仁顕王后に呪詛をかけて死罪になったことなど、ドラマチックな人生を送った女性ですから映像化も何度もされています。

朝鮮王朝時代の3大悪女についてで取り上げた”チャン・ノクス””チョン・ナンジョン”を扱った作品では彼女たちが主役でなく、周囲の人物を主役にした作品の中の登場人物の1人として扱った作品も多かったですが、チャン・ヒビンに関しては主役として取り上げたドラマが多いと思います。

チャン・ヒビンの人生に共感するか? 同情するか? 憎悪を抱くか? ドラマによってチャン・ヒビン像は異なります。

【 映画 】

1961年 「張禧嬪」(配役:キム・ジミ) →最期の毒薬を飲むシーンは無く、崖っぷちに立たされたチャン・ヒビンの後ろ姿がラストシーン

1968年 「妖花 張禧嬪」(配役:ナム・ジョンイム) →1961年の「張禧嬪」を元に制作され、やはり毒を飲むシーンなしのラスト

【 ドラマ 】

1971年 「張禧嬪」(配役:ユン・ヨジョン) →あまりの熱演ぶりに契約していたCM2件を降板し、道では一般人から石を投げられるほどだったそうです。

1981年 「女人熱伝ー張禧嬪」(配役:イ・ミスク)→MBC月火ドラマとして1981年10月5日~1982年3月12日まで放送、イ・ミスクがセクシーなチャン・ヒビンを演じ高視聴率だったそうです。

1988年 「朝鮮王朝500年ー仁顕王后」(配役:チョン・インファ) →MBC制作の時代劇「朝鮮王朝500年シリーズ」のうちの1作品、1988年1月13日~1988年10月13日まで放送の全71話。

1995年 「妖婦 張禧嬪」(配役:チョン・ソンギョン)→SBSが開局して初めて制作した時代劇で出演者も新人で揃えたが最高視聴率42.9%とヒット作に、1995年2月20日~1995年9月26日まで放送の全100話。

2002年-2003年 「チャン・ヒビン」(配役:キム・ヘス) →女優キム・ヘスが「一生に一度は演演じたいと思ったキャラクター」と言い、既にキャスティングが決まっていた作品を断ってまで出演し年末にはKBS演技大賞の大賞を受賞、2002年11月6日~2003年10月23日まで放送。

2010年 「トンイ」(配役:イ・ソヨン) →主役はチャン・ヒビンでなかったため、助演扱いでしたがチャン・ヒビン役のイ・ソヨンは優しそうな外見ですが怖い企みをするギャップのある役に挑戦しました、平均視聴率 24.5%で2010年3月22日~2010年10月12日まで放送、全60話。

2012年 「イニョン王妃の男」(配役:チェ・ウリ) → これも主役はチャン・ヒビンではなくストーリーは「廃位された仁顕王后を復位させるために奮闘した西人派の1人の人物が主役で原題にタイムスリップして・・・」というファンタジー時代劇です、ケーブル放送で全16話ということですが、私の好みではないストーリーですね。

2013年 「チャン・オクチョン-張禧嬪-」(配役:キム・テヒ) →出ました!キム・テヒのチャン・オクチョンです!国王・スクチョン役はユ・アインなので見ましたよー、でも、この作品ではチャン・ヒビンは自分の息子が病気で危篤状態が続いていたために黒魔術のような儀式をしていたのを「仁顕王后が死ぬように呪っていた」と決めつけられスクチョンに死罪を命じられるという、チャン・ヒビンはそこまで悪女には描かれていませんでしたね。

2016年 「テバク♂^命の瞬間(とき)=v(配役:オ・ヨンア) →おー「テバク」も最近の作品ですねー詳細は当サイトのあらすじでご確認下さい(←手抜きっ!)c0

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まとめ

「朝鮮王朝時代の3大悪女について」を3回連続で書きましたが、あなたはどの女性が一番悪女だったと思いましたか?

共通しているのは、生まれの身分が低い女性たちということですかね? そして策略を巡らせる才媛だったということですね。

こうして同じ女性を取り上げる作品でも、イメージが異なるところが面白いですが、ファンタジー時代劇には使ってほしくないキャラクターです。

史実を元に脚色して面白さが出ると思います。

本当は、今回で終了するつもりだったのですが”張禧嬪(チャン・ヒビン)”と切っても切り離せない永遠のライバル”淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)”についてもたくさん映像化されていますので、次回は「番外編」として”淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)”について書きたいと思います。

☆続けてお楽しみに☆